第一弾 「スタンド・バイ・ミー」

「スタンド・バイ・ミー」か〜。知ってる知ってる!

管理人が初めて観たのは小学校の上映会だって。
ラピュタと並んで、主人公たちの年齢と同じくらいの時に観れたのは幸運かも。

原作小説の著者スティーヴン・キングはホラー小説ばかり書いていて、この「スタンド・バイ・ミー」だけ浮いている異色作。
当時すでにホラー作家となっていた彼が、あいつはホラーだけだと言われるのはシャクなので書いた作品。前書きにそう書いてあります。

すっごいアメリカンな調子の前書きなんだよねー。「前置きが長くなっちまったな。オーケイ、始めよう」みたいな。
さてさて、ここでは映画と小説の両方を比較しながら、好き勝手やってみたいと思います。
まずは小説の本編をざーっと紹介!
《 本編紹介 》
舞台はアメリカのメイン州、キャッスルロック。主人公は12歳の男の子ゴーディ。
飲んだくれの失業者が多い環境のせいか、この子たちもすでに隠れてタバコを吸ったり博打をやったりして、ワルぶっている少年たち。
数人の仲間たちと隠れ家を作ってちょっとしたギャングの社交クラブを気取っていた。
ゴーディは優等生タイプなのだが彼らと付き合うのが好きだった。
ある日、バーンが偶然、兄と友人の会話を盗み聞きする。
地元の不良グループで、車を盗んでは彼らのガールフレンドと遊び回っている兄たちは、
ドライブ中、列車にはねられた少年の死体を発見してしまった。彼らはラジオのニュースを思い出す。
行方不明のレイ・ブラワー少年にちがいなかった。
女の子たちに気付かれる間もなくその場を離れたので、知っているのは彼ら2人だけ。
警察に届ければ、当時の状況を詳しく聞かれ、車を盗んだ事がバレる恐れがある。
匿名で電話しようにも、逆探知されたらと考えるとそれもできない。(このへんの発想はテレビからの知識なのだ)
「だから俺たちは、何もしない。黙っていよう。それが一番だ」。「ああ、ちくしょう。あの日、車をかっぱらったりしなければ……」
そんな内容だった。
バーンは早速、仲間たちにその話を持ちかける。
死体の発見者になるチャンスだ。自分たちの手柄がニュースになる。心が躍った。
バーン宅の庭でキャンプをすると親に嘘をつき、ゴーディ、クリス、テディ、バーン4人は待ち合わせた。
丸めて縛った毛布と水筒を肩にぶら下げ、ポケットに少しの小銭。2泊3日の旅にはこれで十分だった。
しかもクリスは父親の拳銃をこっそり持ち出して来て、気分はすっかり冒険者。
真夏の正午、畑を横切って一行は歩き始める。道のりはざっと20〜30マイルはあった。

映画では日本語字幕、日本語吹き替えともに、
「32kmはあるぜ」
「ああ、48kmあるかもな」
って会話してるんだけど、なんでこんなに半端なのかと言うと英語ではマイルだったのをkmにそのまま直したせいだね。
1マイルは約1.6kmだから、20〜30マイルは32〜48km。かなり遠いよね。
なお、ゴーディは愛称で、正式な名はゴードンみたい。

なら、テディはテッドかなあ?学校で愛称のパターン習った。

ん。きっとそう。ウィリアムはビルで、ロバートはボブとかね。
作中で母親がゴーディでなく、ゴードンと呼ぶの。これはちゃんと意味がある。

じゃあ続きを。
■のついた見出しは勝手につけたものなのであしからず。
■フロリダ・マーケット
コイントスでゴーディが買い物に行くことになった。全員から預かった金を持ってフロリダ・マーケットへ。
ハンバーガー用の肉3ポンドとハンバーガー用のパン、コーラ4本を買う。
店主は死んだゴーディの兄の思い出話などしながらも、肉を少なめにしたり、金額を多めにごまかしたりしようとする男だった。
ゴーディはそれを見破り、逆ギレした店主にたじろぐことなく、正しい金額を支払って買い物を終える。
しかし、店を出る時の店主の捨て台詞「お前の兄貴は生意気じゃなかったぞ」に対しては「くそったれ!」と返して店を飛び出す。
好きだった兄のことをお前なんかが語るな、というように。
わめく店主を後に、ゴーディはもう遥か彼方まで走り去っていた。

映画では店主とのケンカはなかったね。

映画ではここでゴーディが兄のデニスにかわいがってもらったことを回想するから、両方あると印象が散漫になるし。
デニスがゴーディの小説を読んで、「イカすぜ。傑作だ」っていうのが好きだな。映画オリジナルの場面ね。
■ゴミ処理場
近道するためにゴミ処理場を横切ると、管理人のプレスマンがコラ〜!と怒る。
生意気な子供が大嫌いなプレスマンは、大人気なく子供4人を相手に本気でケンカを売る。
と言っても、「お前ら全員警察に通報してやるから覚えてろ」程度のものだったのだが、
ヒートアップしすぎて度が過ぎてくる。テディの父親が精神病院に居ることまでも侮辱する。
それでテディが激怒するのを見て喜んでいる。まともな大人とは思えない態度。
太っているプレスマンはフェンスを越えられず、なおさら言葉の暴力をふるい続ける。4人はそんなプレスマンを軽蔑しながら立ち去る。

ひどいなぁ。なに子供相手に本気になってるの。

主人公たちにからむ大人ってプレスマンとマーケット店主くらいなんですけれど、この町の大人は大多数が同様なんだと思います。
ゴーディの父親なんかは違うみたいですから、みんながみんなではないと思いますけれど。
この町の大人はろくなもんじゃない、と少年たちが認識しているというのをこのあたりで描いていますね。
プレスマンがもし本当に警察に知らせたなら……いう最悪の場合もあり得る。
死体さがしに行くのは中止すべきかも……とゴーディは思った。だが、もう行動を開始してしまったのだ。
やめようと言う者はいなかった。
テディはプレスマンに父親を侮辱された悔しさがおさまらない。
テディはノルマンディ上陸作戦で立派に戦った父親を尊敬している。
その父親が今は、その戦争の後遺症で精神を病み、入院している。
町の大人たちの中でも特に尊敬できないような連中が、父親をイカレてると言って笑うのは、テディには堪えられないことだった。
テディは錯乱した父親からひどい暴力さえ受けたというのに、こんなにも父親を愛している。
ゴーディはそんなテディと、父親のことをあまり気にかけていない自分を比較するのだった。

テディとゴーディ、ともに父親との関係がちょっと普通じゃない2人ですが、見事に対称的ですね。

テディは乱暴でもお父さんが好きなんだね。お見舞いにも行っているし。境遇は気の毒でも、テディは強いなと思えるよ。
ここでのゴーディはテディを不思議に思うというよりも、テディを通して自分に疑問を持っている感じがする。
ゴーディ自身が「自分は普通じゃない」という感じで自分を見てる気がするよ。原因はゴーディのせいではないけれど。
■キャッスル・リバーを渡る〜ゴーディの小説

キャッスル・リバーは激しいアクションシーンで中盤を引き締めるっていう感じかな。
汽車はまだ来ないだろうと思って橋を渡っていたら、狙ったように汽車が来てしまって命がけの鬼ごっこを演じるという、あの場面です。
「また話をしてくれよ」とみんなからせがまれ、ゴーディは自作の物語を語る。
たくさんの物語を作ることができるゴーディは今までに何度もこういう話をしていて、テディなんかはドンパチもののシリーズがお気に入り。
新作の「パイ食い競争」の話は面白がってもらえたが、ゴーディの作った結末を良いと思ったのはクリスだけで、テディとバーンは不満そうだった。

ゴーディは結末を気に入ってもらえないのは作り手の自分の力不足と考えているけれど、
クリスいわく「テディとバーンは頭が悪いから理解できないんだ」。
これが将来についての話につながっていく。

ここが映画と比べてより重要な部分だと思うんだ。
別ページにまとめといたのでよろしく。
→詳しく読む
■キャンプ〜沼にはまりながら森を抜け、目的地へ

映画ではゴーディの自作の物語とか、クリスの給食費事件の話と、クリスが誰も自分のことを知らない土地へ行きたいというのはこのキャンプ中に話すんですよね。焚き火に照らされながら。

これはもう、絵的に綺麗だからだね。自分が絵を描くからよくわかる。

絵里花ちゃん描くの?

……って管理人が言ってた。
■死体発見
翌朝。思った以上の道のりの長さに、一行は疲れと空腹でそろそろ限界だった。
不良たちが死体発見者の権利を放棄したからこそゴーディたちはこうして旅しているのだが、連中は考えを変えたらしく、その頃、2台の車を走らせて死体のある場所を目差していた。
午後3時半過ぎ、ようやく目的地にたどりつき、そして、ついにレイ・ブラワー少年の死体を見つけた。
魅入られたように立ち尽くす4人。どのくらい時間がたったのか、そこへ、不良たちがやってきた。バーンが盗み聞きした会話の主もいる。
ゴーディたちは今まで彼らに屈服し続けてきたが、今度ばかりは、手柄を横取りされるまいと突っ張る。
不良たちは力にものをいわせようとするが、その時、クリスの拳銃が火を噴いた。
空へ向けての威嚇射撃。45口径の大轟音に不良たちは度肝を抜かれる。
その時のクリスは、いつものクリスではなかった。 さらに相手の足元へ一発。完全に不良たちは圧倒されていた。
説得にも恫喝にも、クリスとゴーディは一歩も退かない。ついに不良たちは復讐を予告し引き下がった。
不良たちを追いはらった4人は、結局、死体をそのままに、また同じ長い道のりを歩いて帰った。
死体を持ち帰り、英雄になるという当初の予定は、変更するのが賢明だと考えたのだ。
4人がレイ・ブラワーを殺した……などと噂されるとまずい。というのはテディとバーンを説得するための仮の理由で、本当の理由は他にあった。
後日、匿名の通報を受けた警察によって死体は発見された。
4人がどこで何をしていたかは、親にバレることはなかった。

このまま映画のエンディングに向かいたいところだけど、まだこの後があるんだね〜。
不良たちのおそろしい復讐は、予告どおり行われた。
ゴーディは指と鼻を折られ、皮肉なことにこの時初めて両親から真剣に心配された。病院へ連れて行かれ治療を受けたが、誰にやられたかは言わなかった。
クリスは腕を折られた上、顔がはれ上がるほど殴られた。クリスもまた、階段から転落したのだと嘘をついた。
テディとバーンも比較的ましだったとはいえ、やはり殴られた。
怪我が治る頃、テディとバーンが仲間から離れていった。落ちこぼれたちを集めたグループでボスになることを考えたのだ。
ゴーディとクリスは、隠れ家へも行かなくなり、テディやバーンとは疎遠になっていった。
こんな風に友達ができたり離れたりするのは、よくあることだ。
バーンは18歳のとき、スラムのアパートでいかがわしいパーティに参加していて、誰かの寝タバコから出た火事で焼死。
テディはかつての兄たちそっくりの不良三昧のあげく、23歳のとき、仲間を引き連れ酒とマリファナをやりながら車をとばしていて事故死。
クリスは中学2年からカレッジ・コースに入り、周囲(父親すらも)から嫌味を言われ続けながら必死に勉強した。
彼はカレッジ・コースの授業について行くために、まず今までさぼり続けたツケを払わなければならなかった。
小学校のほぼ全課程を1からやりなおすクリスの努力は並大抵ではなかった。
高校3年になる頃には、クリスも周囲から認められるようになった。高校を上位の成績で卒業し、ゴーディと同じ大学に入った。
しかしキャンパスの場所がちがう学部に入ったため、入学と同時にゴーディとは別れ別れに。
修士課程2年目のとき、クリスは軽食を買いに立ち寄った店で2人の男のケンカを仲裁しようとして、ナイフで喉を刺され即死。
ゴーディは作家になって、家庭を持ち幸せに暮らしている。今この物語の書き手でもある。

最後に、映画と違うところを挙げておくね。
<映画との違い>
・映画では省略されている、両親がゴーディに冷たい理由が書かれている
・テディは父親から受けた暴力が原因で両耳を大火傷しており、それを長髪で隠している。変な笑い方をするなど、かなりアブナイ感じ
・ゴーディの夢の中で、兄の葬儀中に父親から「おまえが死ねばよかったのだ」と言われる描写はない
・死体発見直後に不良たちを拳銃で追い払うのはゴーディでなくクリス
・その後のテディとバーンは映画では町の大人の仲間入りをして現在も生きているが、小説では2人とも死ぬ
・その後のクリスがケンカの仲裁をしてナイフで死ぬのは同じだが、映画ではその時弁護士になっており、小説では大学院生
以上、本編紹介でした。いや〜長くなっちゃった。
《 考察 》

死体、持って帰らなかったんだ?そのために行ったのにね。

発見する直前までは、持って帰るつもりだったと思うよ。

気が変わったのは、やっぱりあらぬ噂を恐れたため?「あの4人が殺した」とか。

それもあるかも知れないですけど、もっと大きな理由があると思います。
というか、映画と小説で明らかに違います。

どんな風に違うの?

まず小説の方は……
不良たちが4人に復讐するため、「あの4人がレイ・ブラワーを殺した」という嘘を広める可能性をゴーディが考えます。
給食費の事件で嘘の恐ろしさをクリスは知っています。何をしてもクリスは一番に疑われる。思わずクリスはその場で大声で泣いてしまう。
3人は気を遣って、離れた場所でクリスを待ちます。そして落ち着いてからクリスは、ゴーディに賛成します。
テディとバーンは不満そうでしたが、殺人犯にされる危険よりはマシということで説き伏せられます。
結局、「(死体の)最後の優先権は誰の物でもない」ということで、死体を置いて帰ります。
そして映画の方では、
ゴーディはレイ・ブラワー少年の死体を実際に見て、兄デニーの死を思い出します。
身近な人が死んだという実感が、この時初めてわいてくるんです。
しかも彼の場合、兄の死によって、実の親から嫌われているという残酷な事実がはっきりしてしまった。
ゴーディは慟哭します。なぜ死んだんだデニー……
そう考えたとき、死体の発見者=ヒーローなんて思えなくなってしまったんです。
それで、ゴーディの提案で死体を置いて帰ります。

クライマックスのシーンでゴーディとクリスが逆転してる!
小説→映画においてどんな考えで作られたのか考えるとおもしろい。

文章で表現される良さと、映像とサウンドで表現される良さがあるから。
それぞれの良さを生かそうと頭を悩ませるんだね。原作と変えた結果が好評だったり、その逆だったり。
このシーン、本当に映画とだいぶ違うんだよ。
激しい嵐の中で死体を発見して、嵐に負けないような大声で不良たちとやりあう。
クリスが拳銃を構えて不良たちと対峙している時、再び嵐が激しくなって雹(ひょう)が降ってくるのね。テディとバーンが逃げたのもこの雹のせいなんだけれど。
激しい嵐の中で……。すでにその場面を想像しています私。
雹まじりの嵐の中でじっと動かず、拳銃を構えているクリス。そのかたわらにゴーディ。
「おれから離れるなよ、ゴーディ」クリスは低く震える声で言った。「離れずにいてくれよ」
「ちゃんとここにいるよ」
あ〜、ここを映像で見てみたい!

緊迫した人間同士のドラマに、天候などの自然現象を合わせると迫力が倍増するというのは黒澤映画に代表されるとおりです。
石ノ森章太郎先生も著書「マンガ家入門」の中で触れておられました。

テディとバーンのその後はびっくり!映画と全然ちがう。2人ともひどいことになってるね。

会話の内容が少しちがうとかシーンが前後するとかのレベルじゃなく、扱いそのものが変わってるのはこの2人かな。

クリスはゴーディに「テディやバーンと決別しなければ、あの町の連中と同じような大人になってしまう」と警告していたんだよね。
※→詳しく読む

そしてクリス自身もそうする道を選ぶ。しかし不幸な事故で死んでしまう。

クリスがゴーディのようにちゃんとした大人になれなかったのは本当に悲しいですね。
ゴーディに道を指し示して、自分も努力したのに……

クリスの存在はあまりに大きいですね。

クリスに関してちょっと妄想したんだけど聞いてくれる?「足を引っぱってる」のとこ。
クリスはゴーディにカレッジ・コースへ進むことを強く説く。今の仲間といっしょにいれば、いずれゴーディはろくでなしの仲間入りをするだけだ、と。
そのすぐ後の描写に注目して。
テディとバーンは立ちどまって、ゴーディとクリスが追いつくのを待っている。
そして、ゴーディがクリスに追いつく前に、クリスはテディとバーンに追いついてしまった。
この構図。
クリスはゴーディから離れて行ってしまうことを暗示しているように見えない?

おお!

むぅぅ……

どうだろう?深読みしすぎな気も、しないでもない。

うん。面白いけど、作者がそういう狙いで書いたかどうかはちょっと分からないね。
でも、象徴(シンボライズ)というのは映像でも、文学でも大いに有りだよね。演出として。
ふと、そんな意味が匂えばいい。ぶっちゃけ、説明がつかないようなものでもいいという。
ただし、それはあくまでも匂わせる程度。気付かない人がいても構わない、っていうスタンスで描くことが多い。

ん……だけど、もしこの描写がなかったら、と想像してみるとおもしろいよ。
テディとバーンはだいぶ先を歩いて、ゴーディとクリスが2人で深刻な話をしているでしょ?

ふむ。

それで、そのまま場面が変わって次の場面に行ったら、けっこう印象ちがってくるよ。

あ、本当だ……やっぱりこの描写はちょっとした暗示が入っているのかも……

ね。おもしろいよね。
実際のところは、クリスがテディとバーンに追いついたから、もうゴーディはさっきの話の続きはできない。
2人だけの話はおしまいで、ここからはまた4人でふざけながら旅を続けるっていう流れを作っているんだと思うけど、
それプラス暗示なのかも。

まともな大人になれない仲間は、作者によってそのようにキャラクター配置をされています。
この真夏の短い旅を通じて、少年は成長し大人になる、というテーマをはっきりさせるため、大人になりそこねる仲間を配置した……
テディとバーンはまちがいなくそうでしょう。でもクリスが気になるんです。

クリスは地元の町で飲んだくれの大人になるという運命からは脱出していた。
なのに大学に入って、これからというときに不幸な事故で死んでしまう。
なぜ?なぜクリスがここで死ぬのスティーヴン・キング…… あんた鬼やで……

なんで関西弁?
身もふたもないこと言っちゃうと、それは、この物語が大人になったゴーディが書いている小説だということに関係あると思うよ。

どういうことですか?

この冒険物語を書くなら、3人称で書いてもいいし、冒険している少年ゴーディが語り手でもいいはず。
「グーニーズ」みたいにね。
でも、大人になったゴーディがあの夏の日のことを小説に書いている、という体裁になっている。それは、なぜか?

……あ!

そうか!

わかった。

わかりました。

……な、なぜ?

テディとバーンに加えて、クリスが死んでしまった今、あの夏ともに冒険した仲間はもういない。
それがあの夏の思い出をひときわ輝かしいものにしていると言えないかな。
クリスの死を知ったゴーディは、何としてもあの夏の日のことを小説に書こう、書かなければ、と思ったかもしれない。

そうか……。語り手が大人になったゴーディだということは、作品全体にかかる伏線なんですね。
そう考えると、死ななくてもよかったと思えるクリスが死んだことにも、意味がありますね。

ただ、これだと理由にはなるかもしれないけど、身もふたもない。 クリスは死ぬことに決まってた、っていうことだから。
しかし、今のところそうとでも考えるしかない。思いつかない。
……と管理人が言ってます。

創作物の中に「たまたま」とか「偶然」を認めない管理人らしいですね。

考えてもしかたないことだってあると思うよ〜

あんたは考えなさすぎなんだ!

……さて、好き勝手やって満足したからこのへんで。
第一弾「スタンド・バイ・ミー」。こんな感じでそろそろ締めにしましょうか。次はあるのかな?

は〜い。
お疲れさまでした!次はあるのか!?
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